アトピーと戦いながら、認知症の祖母も介護してみた話♬
これは、数年前に亡くなった祖母。先日、祖母のチロルチョコを作り、親戚に配ってみた。写真、なかなか良く撮れているでしょう?
- 私にとって介護は祖母とのコミュニケーションだった。
- 介護は3Kなんだろうけど、私には違う。
- 私が重度のアトピーで苦しんでいる時。
- アトピー悪化時に私がしたのは、子育てではなく介護。
- 祖母の介護経験で得られたことは、私の宝だと思う。
私にとって介護は祖母とのコミュニケーションだった。
祖母は10年間、認知症という名の長いトンネルの中にいた。そのトンネルに迷い込んだ祖母はいつも疑問を投げて、周囲を困らせた。
「私はどこにいるんだい?誰が迎えに来てくれるんだい?」
どこで、何が、どうなっているのか?自分は次にどこへゆくのか?とても混乱していたようだった。そして、認知症の老人を抱える私達親族でさえも困惑していた。誰もが、いつ認知症トンネルの出口が見えるのか、さっぱり分からずにいたのだ。
この10年というもの。親族全員が祖母の言動や度重なる徘徊、粗暴な態度に苦しんだ。その祖母が死というゴールを迎える長い認知症トンネルの出口付近で、私は祖母を介護した。
介護は3Kなんだろうけど、私には違う。
私は介護という名のコミュニケーションを図り、祖母との最後の時間を楽しんだのだ。だからと言って、昔から私がおばあちゃん子かと言えば、まるで違う。
小さい頃は、全然懐いてはいなかった。口うるさい祖母を敬遠していたほうかもしれない。別々に暮らしていたしね。一年に1度、2度田舎に顔を出すだけの関係。
でも、数ヶ月に一回は、一人暮らしの祖母を思い、必ず手紙を書いた。これは学生の頃も、社会人になってからも変わらず続いた。祖母がグループホームに入居するまでずっと。祖母には孫が6人いた。
でも、病気で入院していたことも、死んだことさえも、知らされなかった孫もいて。1度も会いにこなかった孫の中には、介護士もいる。他人の祖父母は面倒見られても、実の祖母の顔さえ見にこないのは情けないと思ったけども。色々事情があるのだろう。
こんなに祖母と深く関わりが持てた孫は、私だけ^^bそれが私には、嬉しい。今まで、ほとんど手紙だけのやり取りで、あまり関わろうとしてこなかったのに不思議な縁である。
歳をとるにつれて、目上の人達がバタバタ亡くなっているのを見るのは、とても寂しかった。親族とも、全然付き合いがなかったので、もっと介護を通して身内の人間と深く関わってみたかったのかもしれない。そして介護してゆく中で、痴呆でイライラしていた祖母の表情が変わってゆくのが分かった。
段々と私に打ち解けていった祖母の笑顔は最高だった。だからその一瞬一瞬を逃すまいと、祖母にカメラを向けた。いつでも写真として、祖母の笑顔を残しておけるように。
いつ祖母を思い出しても、笑みが浮かぶ。私は私なりに、祖母と最高の関わり方ができたし、最高のお別れができたと思っている。祖母との死別に、一切悔いはない。
私が重度のアトピーで苦しんでいる時。
友達は、次々と結婚していった。面と向かって「私、幸せ!」と何度言われたことだろう。自分の幸せしか目に入らない彼女たち。そんなキラキラに輝いた彼女たちの顔を見ても。私には目の前で繰り広げられる恋愛ドラマを、テレビの画面で観ているようにしか感じられなかった。
だって、私はそれどころじゃなかったもの。
もちろん出産したり、子育て真っ最中の友達もいた。でもそんな時に私は、毎日24時間続くかゆみと向き合い、アトピーと必死で戦っていたのだ。
他人が羨ましいとか、子育てできなくて悔しいとか、そういう感情は超越してしまっていた。とにかく体が頭が狂いそうになる程かゆくて、結婚や出産どころじゃなかった。
本当に、それどころじゃなかった!!自分の身体を治すことに必死で、自分のことだけで毎日精一杯だったのである。
アトピー悪化時に私がしたのは、子育てではなく介護。
今まで人のお世話をした経験がないというのは、味気なかったので。私も人のお世話をさせてもらおうと思い立った。そこで、子育ての代わりに、当時病気で3ヶ月ほど入院中だった祖母に付き添い、一生懸命に介護した。
耳掃除、爪切りに髪切り。洗面具や入れ歯まで素手で洗った。もちろん身体を拭いたり。お世話になっているお医者さんや看護師さんなどに挨拶して回ったり。ベッド周りや身の回りの掃除もやった。毎回、全身を丹念にマッサージ。力強い老木の様な、だけど祖母の冷たい両手を握り。永遠とループのように続く痴呆老人の話に付き合うのも、悪くなかった。
そして時々。病院では出されないおやつを持って祖母に会いに行った。一緒に食べたのは、バウムクーヘン、源氏パイ。二人で分け合って、楽しく会話しながら食べた。きっと、叔母は病人にお菓子を与えるなんて!と怒るかもしれないけれど。
明日がないかもしれない老人にこそ、美味しい思いをさせて、幸せな気分を味合わせてあげたかったのだ。お菓子ちょこっと食べたくらいじゃ、そんな大して変わらないし。毒飲ませるわけじゃあるまいに〜って感じだ。
祖母の介護経験で得られたことは、私の宝だと思う。
人はきっと、未来ある赤ん坊の世話の方が、希望が持てるというかもしれない。老人のお世話なんて、死にゆく者なのだから、虚しいだけというかもしれないが。
それが、そうでもない。
老人のお世話にも色々な気づきがあった。ここには書ききれないほど。だから、また祖母の介護について、続きを書きたいと思っている。
どんな経験にも、学びは得られるのだ。
今回は、未知の世界はのぞいて見ないと!どんな新しい発見や学びが待っているか分からないよ〜というお話をした。
続編として、祖母にまつわる秘密の話が待っています↓