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30年超続いたアトピー完治までの記録

アトピー・モンスターとの30年以上の闘いに勝利した、もちゃこのブログ。   アトピーやアレルギーに苦しむ方の助けになりたいと思い運営中♪

アトピー悪化時に祖母を介護した話。

アトピー格闘記 日々のつぶやき

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これは、数年前に亡くなった祖母だ。
先日祖母のチロルチョコを作り、叔父や叔母など親戚に配った。

なかなか良く撮れているでしょう?

私にとって介護は祖母との大切なコミュニケーション。

祖母は10年間、痴呆という名の長いトンネルの中にいた。
痴呆トンネルに迷い込んだ祖母はいつも疑問を投げて、周囲を困らせた。

「私はどこにいるんだい?誰が迎えに来てくれるんだい?」

どこで、何が、どうなっているのか?自分は次にどこへゆくのか?とても混乱していたようだった。
そして、痴呆老人を抱える私達親族でさえも。
誰もが、いつ痴呆トンネルの出口が見えるのか、さっぱり分からず困っていたのだ。

この10年というもの。
親族全員が祖母の言動や度重なる徘徊、粗暴な態度にどうしたらいいかわからず苦しんだ。
その祖母が死を迎える長い痴呆トンネルの出口付近で、私は介護をした。

介護は3Kなんだろうけど、私には違う。

私は介護という名のコミュニケーションを図り、祖母との最後の時間を楽しんだのだ。
だからと言って、昔から私がおばあちゃん子かと言えば、まるで違う。

小さい頃は、特に懐いてはいなかった。どちらかと言えば祖母を敬遠していたほうかもしれない。
別々に暮らしていたしね。一年に1度、2度田舎に顔を出すだけの関係。

でも、数ヶ月に一回は、一人暮らしの祖母を思い、必ず手紙を書いた。
これは学生の頃も、社会人になってからも変わらず続いた。祖母がグループホームに入居するまで。

祖母には孫が6人いた。
でも、病気で入院していたことも、死んだことさえも、知らされなかった孫もいて。

1度も会いにこなかった孫の中には、介護士もいる。
他人の祖父母は面倒見られても、実の祖母の顔さえ見にこないとは、情けないと思ったけども。
色々事情があるのだろう。

こんなに祖母と深く関わりが持てた孫は、私だけ^^b
それが私には、嬉しい。

今まで、ほとんど手紙だけのやり取りで、あまり関わろうとしてこなかったが。
歳をとるにつれて、目上の人達がバタバタ亡くなっているのを見るのは、とても寂しかった。
親族とも、全然付き合いがなかったので、もっと身内の人間と深く関わってみたかったのかもしれない。

そうそう。
今見ても、介護してゆく中で、痴呆でイライラしていた祖母の表情が変わってゆくのが分かった。
介護を通して、私に打ち解けていった祖母の笑顔は最高である。

だからその一瞬一瞬を逃すまいと、祖母にカメラを向けた。
こうやっていつでも写真として、祖母の笑顔を残しておけるように。

いつ祖母を思い出しても、笑みが浮かぶ。

私は私なりに、祖母と最高の関わり方ができたし、最高のお別れができたと思っている。
祖母との死別に悔いはない。

私が重度のアトピーで苦しんでいる時。

友達は、次々と結婚していった。面と向かって「私、幸せ!」と何度言われたことだろう。
自分の幸せしか目に入らない彼女たち。そんなキラキラに輝いた彼女たちの顔を見ても。

私には目の前で繰り広げられる恋愛ドラマを、テレビの画面で観ているようにしか感じられなかった。
だって、私はそれどころじゃなかったもの。

もちろん出産したり、子育て真っ最中の友達もいた。
でもそんな時に私は、毎日24時間続くかゆみと向き合い、アトピーと必死で戦っていたのだ。

他人が羨ましいとか、自分は子育てできなくて悔しいとか、もうそういう感情は超越してしまっている。
とにかく体が頭が狂いそうになる程かゆくて、結婚や出産どころじゃなかった。

本当に、それどころじゃなかった!!
自分の身体を治すことに必死で、自分のことだけで毎日精一杯だったのである。

アトピー悪化時に私がしたのは、子育てではなく介護。

今までの人生で人のお世話をした経験がないというのも、味気なかったので。
私も人のお世話をさせてもらおうと思い立った。
そこで、子育ての代わりに、当時病気で3ヶ月ほど入院中だった祖母に付き添い、一生懸命に介護した。

耳掃除、爪切り、髪切り、洗面具や入れ歯まで洗い。身体を拭いたり。
お世話になっているお医者さんや看護師さんなどに挨拶したり。

ベッド周りや身の回りの掃除もやった。
毎回、全身を丹念にマッサージした。

力強い老木の様な、だけど祖母の冷たい両手を握り。
永遠とループのように続く痴呆老人の話に付き合うのも悪くなかった。

そして時々。病院では出されない様なおやつを持って行った。
一緒に食べたのは、バウムクーヘン源氏パイ。二人で分け合って、楽しく会話しながら食べた。
きっと、叔母は病人にお菓子を与えるなんて!と怒るかもしれないけどね。

明日がないかもしれない老人にこそ、美味しい思いをさせて、幸せな気分を味合わせてあげたかった。
お菓子ちょこっと食べたくらいじゃ、そんな大して変わんないよ〜。
毒飲ませるわけじゃあるまいに〜って感じだ。

祖母の介護経験で得られたことは私の宝だと思う。

人はきっと、未来ある赤ん坊の世話の方が、希望が持てるというかもしれない。
老人のお世話なんて、死にゆく者なのだから、虚しいだけというかもしれないが。
それが、そうでもない。

老人のお世話にも色々な気づきがあった。ここには書ききれないほど。
だから、また祖母の介護について、続きを書きたいと思っている。

どんな経験にも、それなりの学びが得られた。
未知の世界はのぞいて見ないと!
どんな新しい発見や学びが待っているか分からないよ〜というお話。

次回この祖母にまつわる秘密の話を書くつもり。